Geary Blvd.1980's

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これは既に載せたことのある写真だ。
しかし、なんとなく懐かしいので再登場させた。
ここに写っているジーンズショップも本屋も洋服屋も、今はすべて存在しないと思う。
個人経営の用品店が成立したのは1980年代までが精一杯で、その後は中国や東南アジアから大量に安い商品が入るようになり、お客はディスカウントストアなどに流れて行ったはずだ。
もちろん、ここを走る車など今は廃車置き場にも残っていないだろう。
この市バスは1950年代に設計されたGMのバスで、大量の黒煙をまき散らしながら走っていた。本来の座席はクッション入りの柔らかいビニール製だったが、1980年代中頃からそれをナイフで切る馬鹿が多くなった為、最後は硬質プラスチック製に変わった。

ここからは別の話題である。
1998年にあった和歌山カレー事件を覚えている人は多いと思う。
本人の自白がなく状況証拠だけで死刑が確定したが、じつは目撃者もいない事件である。
ヒ素などそう簡単に入手できるはずがなく、持っている人は少ないはずと考える人が多い。ところが、和歌山地区には思いのほか大量のヒ素が流通していて、しかも、実際に事件に使われた物と林死刑囚が持っていた物とは、完全に一致する鑑定結果が出ていないのである。
この動画の21分ほどのところにその話がある。
事件前からいろいろ言われていた林死刑囚が、もし事件になったら自分が最重要参考人として疑われることの明らかなヒ素混入を、わざわざ家の近くで実行するかどうかも疑問である。
https://www.youtube.com/watch?v=4JFW8ZhVDvQ

SF. City Hall

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少し広角側になっていたのだろう、建物が斜めに写ってしまった。
これはサンフランシスコの市役所。右は講和条約が締結されたオペラハウス、左は美術館である。
人口約80万の都市にしては小規模な市役所だが、日本より業務が細分化され、それぞれが別の建物を持つからなのか、これで済んでしまうようだ。もちろん、建物自体は大きく、中もかなり広い。
アメリカには戸籍がない。住民登録もない。つまり、そういった書類を扱う部署がなくそれ用の人員も要らない。税金は税務署の仕事だからその窓口も市役所内に存在しない。
普通の生活をしているなら、市役所に足を運ぶことなど10年に1回もないだろう。
インターネットが普及する前でもほとんど行くことのなかった市役所だから、今の時代は直接出向くことなど全くないのかも知れない。

アメリカに比べると日本はとにかく書類が多い。
そして、その作業をするため人間が直接役所に行く必要があり、交通量も増える。役人の人件費も増える。

今頃、サンフランシスコは霧に覆われて寒い日が続いていることだろう。
夏のあの街は、とにかく寒い。
市から出るとよそはみな暑いのだが、いくら陽射しが強くても乾いた風が吹いているから爽快である。行った人のみが知る、カリフォルニアの素晴らしい気候だ。
蚊に刺されない、蝉がいない州。それがカリフォルニアである。

Residential Area

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サンフランシスコでも、市の中心から離れると少し電柱が立っている。
道路が広く電柱の数が少ないせいか、或いは電線の数が少ない為か日本ほど醜悪にならない。住宅街の道幅はこれが標準である。
40年前は自転車に乗る人など皆無に近かった。その後は駐車の問題が出てきたり健康志向が強まったりして、自転車族がだいぶ増えてきた。しかし、歩道を自転車で来る者など幼児以外はいないから安心して歩いていられる。常に自転車を警戒しながら歩く日本の歩道環境と比較すると、夢のような快適さである。
昔は何処に行っても楽に駐車できた。パーキングメーターの料金が安かった。今は基本料金が高いうえにすぐ高額のチケットを切られるから、安心して買い物にも行くことができない。
この道路にはパーキングメーターがなく、2時間程度までは無料で停めることができる。そして、地区住民は市から年間ステッカーを購入すれば時間制限を受けずに駐車できる。車庫証明などもちろん不要であり、ガレージに入りきらない車は路上駐車になる。サンフランシスコ以外ならどの街でも車はガレージに収まるが、総面積が小さく人口だけ増えたこの街は他と事情が異なる。
建物は基本的に3階のつくりだ。これは、1階が駐車場その他になっていて人はその上に住むからである。初めてサンフランシスコを見る日本人はこの街に庭がないと勘違いするが、ほぼすべての家は庭つきだ。碁盤の目のようになっているこの街は道路側だけに家が建っていて、中は広い庭か駐車場になっている。
住宅は木造。何処に家にも冷房設備がないことなど、日本の人は想像できるだろうか?
標識に書いてある Speed Limit 15 は、制限速度24キロのことである。

A Train Station

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San Francisco から南に30分と少し走った所の Hillsdale という駅。
なかなか良い住宅地で、駅の近くに大きなショッピングモールもある。しかし、殆どの人は車で移動するから通勤以外でこの駅を利用する人は少ない。
その為、駅の駐車場は無料のような感じだった。建物が傾いて見えるのは、撮り方が悪かったから。
東京駅から30分走った所の駅が無人とはあり得ないことだが、アメリカの鉄道はこんなものだ。
通勤は30分程度。必ず座って行ける。5時に退社したら6時頃はすべての人が家に着いている。
家は広い。散歩する歩道も広い。公園がたくさんある。
車を買っても税金が安い。駐車にあまり金がかからない。車検などという馬鹿げたものがない。
日本と比べたら、生活すべてが簡単そして快適である。
所得水準だけでは表せない『生活の質』が、日本よりはるかに上なのがアメリカだ。
物が豊富で何もかもが便利なのが日本だが、生きていることの快適さでは欧米より50年ほど遅れているように感じる。

いつも面白い須田信一郎の話。
今日の『社会の裏』は、吉本興業についてである。
動画の1時間10分ほどのところだ。
https://www.youtube.com/watch?v=5LMYrEDiCCk&t=7580s

San Francisco

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Golden Gate Bridge を渡った北側から San Francisco を撮った1枚。20何年か前の写真である。
ネットで面白い記事を見つけた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190720-00293133-toyo-bus_all


食費が安い。保険制度が充実している。商品が多い。その他いろいろな点で便利な日本ではあるが、暮らしていることが少しも楽しくなく、どちらかというと憂鬱な気分になるのが日本だ。
一歩外に出ると、歩道なのに自転車を恐れなければならず、こちらが注意していないとスマートフォンを見つめながら歩いてくる人にぶつかりそうになる。電車を降りようとしてもドア付近の人がやはりスマートフォンを見ていて動かないから、乗降の邪魔になる。エスカレーターは常に皆が片側しか利用しない為、効率が悪い。横に並んでふたり乗れば行列ができないのに、必ず片側を無人にしているので無駄に待ち時間ができる。
銀行でも役所でも手続きが大変に煩雑で、時間がかかる。そして、すべてがなんとなく重苦しいのである。
紹介URLの記事に、私の感じることが要約されている。
どの部分を読んでも日米の違いがうまく書かれていると思うが、1行だけ抜粋してみる。
《日本だと「誰が(どこが)悪いんだ!」という、責任追及が先になるので、こういう解決にはならないわけです。》

Monterey California

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カリフォルニアが懐かしい。あの見事な青空と、アメリカの解放感がたまらなく懐かしい。
ネバダだって自由はある。空の青さはカリフォルニア以上だろう。しかし、暑くなく寒くなく適度に湿度もある快適さは西海岸特有の利点だ。
ワシントン州やオレゴン州の人は、また違う観点で「ここはいいぞぉ」と地元を自慢するかも知れない。
アメリカに戻ろうかなぁ・・・。

今日、こんな動画を見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=Y_1lu6Gqvc4

モントレーにも良く行ったものだ。
サンフランシスコから1号線を海沿いに走り、サンタクルズやモントレー、そしてロスアンゼルスまで寄り道しながら行ったら、たいていの日本人は一生忘れられない思い出になってしまう。

Apartments JPN

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日本のアパートも随分きれいになったと思う。
これで電線が地下埋設になったら欧米のきれいさに近づくのだが、あと数十年または100年以上待たないとその景色にはなれないらしい。
ヨーロッパならギリシャやポルトガルなどの貧しい国でも昔から電柱はなく、地震の多いイタリアも電柱は立っていない。

以下の動画は、昭和30年代の日本である。
いろいな作業を人力でおこなうところが、今の北朝鮮レベルだ。
しかし、江戸時代はすべての工事を人力だけやっていたのだから、大変な数の人と時間が必要だった。
その人足達に食糧と金を与えた昔の大名は、物凄い財力だったわけだ。

話は前後するが、動画の最後部分で、団地に干された大量の洗濯物が出てくる。
昔の人はこれを見て、酷い貧しさと醜悪な光景とは思わなかったのだろう。
電柱同様、日本人の不思議な価値観である。

https://www.youtube.com/watch?v=OXhLEpVqLpU