JPN

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後方の車を見ると、さほど古い写真でないことが分かる。
「ネタが古い」と言うのはかなり昔から私のブログを読んでいる人だが、たぶんそんな老人はもう死に絶えているだろう。
最近、用事があって日本の免許センターに何度も行った。
新築の建物がすごくきれいなことに時代の違いを感じた。窓口の開いている時間が限られるのは相変わらず昔の役所システムそのままだが、広いカフェテリアがあるので待つのは昔ほど酷くない。
私が利用する窓口は特に受付時間が短く、朝1時間と昼30分しか開いていない。そして、上限10人の受理と決められているから、いくら早く行ってもその日はダメなことがある。こういった点は、免許センターといっても所詮警察の一部だと納得してしまう対応だ。
手続きのため用意させられる書類がじつに多く、ひとつでも足りないとその日は無駄足となる。
その書類の中のひとつに、免許証の翻訳版がある。これは大使館かJAF発行のものと決められていて、1枚4000円だ。私は事情があって2回申請書を出したのだが、驚くことに、同じ人物が同じことを同じ月に繰り返すだけなのに翻訳版を2回要求された。合計8000円である。
アゼルバイジャンの言葉だとかスワヒリ語の免許証とかではない。中学生なら誰でも分かるくらいの英語しか書かれていないアメリカの免許証に、必ず翻訳版を添えないと受理しないとはどういう教育程度の国だ。
そして、今まで私が使っていた数枚の免許証と何冊かのパスポートを手にしながら「何か本人であることを証明できるものがありますか?」と聞いてきた。
すべての物に私の名前や生年月日があり、写真も付いているのに、この上なぜ本人確認が必要なのか理解に苦しむ。
しかし、みな一様に目つきの悪い警察関係の職員であっても、質問にはじつに丁寧な対応をするのは驚いた。人を呼ぶときも「〇〇さん」と優しく言ってくるし、説明の内容も懇切丁寧である。時には「こんな人、警察に置いておくのは勿体ない」と感じさせるほど親切にものを教えてくれる人さえいる。年配の職員はまだ昔のままの態度だったりするが、若い人は確実に良くなっていると感じたものだ。「無知な一般人がまた馬鹿なことを聞きに来る」でなく、「人は、分からないから聞きに来る」と意識を変えたのだろう。
アメリカにはAAAという組織がある。日本のJAFみたいなものだ。国際免許などをAAAに取りに行くと、いつもあまりの愛想良さに感心してしまう。接客業にある商売上の愛想良さと異なる、本当に優しく気分の良い対応なのである。

BUS 2000(?)

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20年くらい前、このバスを運転していた。
日本のバスよりだいぶ大きく、フリーウェイでの乗り心地はじつに良い。これは、大変に重い車体と長い Wheel Base、そして、後輪だけで6本もついている大径タイヤからくるものだ。車輪が小さく見えるのは、それだけ車体が大きいということである。
アメリカは機関車も巨大である。
理由は、何に衝突しても撥ね退ける重量を義務付けているからだと知った。
こういったところに諸外国と発想の違いが表れている。
日本などは衝突した相手側の損傷まで考慮して設計するのだが、アメリカはとにかく自分の乗客や荷物の安全確保が重視される。
いくらアメリカのトラックが巨大といっても、乗っているのは運転手だけだ。そのひとりを守るより、数百人の乗客を守る構造が重視されるのは、アメリカだと当然の選択なのだろう。
自宅に侵入した不審者を撃つなら、大口径かショットガンを使うのが正しい。
不法侵入そのものが犯罪なのだから人権など考慮しない。相手を確実に倒すのが最善の策だ。
正当防衛の法的範囲は州によって大きく異なるが、自宅敷地内なら、武器を持っていない侵入者を後ろから撃っても合法行為として認められる所が多いだろう。
敷地内・玄関ドア内側・武器の有無、そういった条件を含めて法の運用は自治体ごとに異なる。
カリフォルニア州で建物の外に逃げた不審者を撃つと問題になるが、テキサスで敷地から外に逃げた丸腰の不審者を撃っても、たぶん責任は追及されないだろう。

MUNI Station

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日本の景色ばかり見ていると、暗い気持ちになる。
そこで、今回は今まで使う予定のなかったボツ写真を載せてみる。
光の具合も良くないし、何を撮りたいのか分からないような写真だが、懐かしさだけは残っている。
サンフランシスコの市電、その起点である King st. & 4th.st.Station 。
これは20年ほど前の1枚であり、今とまったく違う景色だ。
この市電の後ろにある空き地は広い道路とビルに変わり、昔と違って遠くは見通せなくなった。
宝くじにでも当たらない限り二度と住むことはできないサンフランシスコだが、最近本当に戻りたくなっている。
日本にいる時間が長くなるにつれ、暗く憂鬱な気分が自分を変えていく、それが日本社会に適応している証なのだろう。

Utility Poles

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この道路が設計された頃は、自転車が車道のみを走る法律だったのだろう。
街路樹が歩車道の境界部分に植えられている為、今では自転車レーンを拡張することが難しい。その結果、車道に自転車用の表示があるにも関わらず歩道を自転車が走ってくる。
特に交通量の多い道ではないのだが、自転車に乗る人は、自分が車から受ける被害より歩行者を負傷させるほうが良いと考えるため、歩行者を蹴散らすように歩道を走る。
道路交通法を知る機会のなかった人や、『自転車も“例外的に”歩道上を走れる』という法律制定以降に生まれた人達は、『自転車は歩道を使うもの』というのが基本認識だ。
歩道の幅を半分にして自転車専用レーンを作ればすべての人に良い結果が出るのだが、街路樹があってはどうにもならない。

電柱さえなくなれば、日本の景色もさほど酷くないところまで進化した。
しかし、年間7万3千本ほど増えると聞く日本の電柱は今のところまだ絶望的状況にある。
2年ほど前にできた新法により、今後は都市部を中心に少し電柱を規制することができるようになった。別の試算によると、日本の道路総延長と工事に要する時間から計算した場合、すべての道から電柱を撤去できるのは、西暦2700年または、あと2700年必要となるらしい。
私は、あと2000年も生きることはできないような気がする。たぶん。

House A

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アメリカなら誰でも買える家。しかし、日本での価格はその10倍程度が普通だと思う。
つまり、こういった家を建てられるのはか~なりの金持ちだ。
建てる、とは言ったが、アメリカに注文住宅があるかどうかが疑わしい。向こうは既製品の家を買うのが普通だ。そして、都市部に家を買う人は値上がり後に売るのが目的だから、一生そこに住み続ける例は少なくなったと思う。
アメリカ西海岸の多くは、中国人がそれを活発に続けた結果、昔の何倍かに相場が上がった。

Plums

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年齢にしては妙に今風の自転車に乗る男がいた。何処かに行くのではなく、ただ家の前をクルクル回っているのである。不審者というわけではないが、少し面白い光景だった。
しばらくして、高校生らしき男が家から出てきた。
自転車から降りた男と高校生の会話。
「このサドル、もう少し高いほうが良くないか?」
「これ以上、上げれないよ」
いったい何処でこういう変な言葉を覚えてきてしまうのか、不思議に思える。
ラ抜き言葉は、昭和40年代でも稀に聞くことがあった。
しかし、それはせいぜい四字の言葉を三字にしてしまうだけで、五字を四字にしてしまう人はいなかった。「食べれる」や「起きれる」とは、誰も言わなかったのである。
もちろん、「上げれる」など誰ひとり使うことがなく、同じ目的でそれを言うなら「上がる」が普通の表現だった。
ラ抜き現象は、言葉を短くしたい気持ちからそうなったと思いそうだが、ラ抜きで喋る人は不要なところにレを付け足す傾向がある。
「行けれる」「抜けれる」「貰えれる」などがその例だ。遠からず「泣けれる」「笑えれる」なども登場してくるのだろう。
そもそも、この高校生はサドルが上がるかどうかの物理的あるいは機械的な話を、自分ができるかどうかの事にしてしまっているのがおかしい。