Geary Blvd.1980's

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これは既に載せたことのある写真だ。
しかし、なんとなく懐かしいので再登場させた。
ここに写っているジーンズショップも本屋も洋服屋も、今はすべて存在しないと思う。
個人経営の用品店が成立したのは1980年代までが精一杯で、その後は中国や東南アジアから大量に安い商品が入るようになり、お客はディスカウントストアなどに流れて行ったはずだ。
もちろん、ここを走る車など今は廃車置き場にも残っていないだろう。
この市バスは1950年代に設計されたGMのバスで、大量の黒煙をまき散らしながら走っていた。本来の座席はクッション入りの柔らかいビニール製だったが、1980年代中頃からそれをナイフで切る馬鹿が多くなった為、最後は硬質プラスチック製に変わった。

ここからは別の話題である。
1998年にあった和歌山カレー事件を覚えている人は多いと思う。
本人の自白がなく状況証拠だけで死刑が確定したが、じつは目撃者もいない事件である。
ヒ素などそう簡単に入手できるはずがなく、持っている人は少ないはずと考える人が多い。ところが、和歌山地区には思いのほか大量のヒ素が流通していて、しかも、実際に事件に使われた物と林死刑囚が持っていた物とは、完全に一致する鑑定結果が出ていないのである。
この動画の21分ほどのところにその話がある。
事件前からいろいろ言われていた林死刑囚が、もし事件になったら自分が最重要参考人として疑われることの明らかなヒ素混入を、わざわざ家の近くで実行するかどうかも疑問である。
https://www.youtube.com/watch?v=4JFW8ZhVDvQ