Plums

イメージ 1

年齢にしては妙に今風の自転車に乗る男がいた。何処かに行くのではなく、ただ家の前をクルクル回っているのである。不審者というわけではないが、少し面白い光景だった。
しばらくして、高校生らしき男が家から出てきた。
自転車から降りた男と高校生の会話。
「このサドル、もう少し高いほうが良くないか?」
「これ以上、上げれないよ」
いったい何処でこういう変な言葉を覚えてきてしまうのか、不思議に思える。
ラ抜き言葉は、昭和40年代でも稀に聞くことがあった。
しかし、それはせいぜい四字の言葉を三字にしてしまうだけで、五字を四字にしてしまう人はいなかった。「食べれる」や「起きれる」とは、誰も言わなかったのである。
もちろん、「上げれる」など誰ひとり使うことがなく、同じ目的でそれを言うなら「上がる」が普通の表現だった。
ラ抜き現象は、言葉を短くしたい気持ちからそうなったと思いそうだが、ラ抜きで喋る人は不要なところにレを付け足す傾向がある。
「行けれる」「抜けれる」「貰えれる」などがその例だ。遠からず「泣けれる」「笑えれる」なども登場してくるのだろう。
そもそも、この高校生はサドルが上がるかどうかの物理的あるいは機械的な話を、自分ができるかどうかの事にしてしまっているのがおかしい。