Good Old Days 11

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1980年頃に撮った1枚。
Bush st. と Taylor st.交差点近くだ。
このコインランドリーにはよく行った。最近のストリートビューだとここは工事中だから、たぶんもう営業しないのだろう。
少し狭い敷地だが高層の住宅にすればかなりの金を稼げるエリアなので、今どき小銭を稼ぐだけのランドリーをやっていても意味がないはずだ。この土地のオーナーが他界して、結構な額で売ったのだと思う。たぶん次の世代まで一生働かなくても困らないくらいの金が手に入ったはずだ。
この古い写真で解体済みになっている角地にはコンドミニアムらしきものができた。1980年頃はまだすべてが大変に安かったから、貨幣価値の違いを考えても完成までの総費用など現在の20分の1かそれ以下に相当すると思う。もし今この土地に何か建てるなら、もっと大きな物件にするはずだ。

停まっている車は Isuzu Jemini か Opel のように思える。初代ジェミニは、まるでバスのように長いシフトレバーが付いていて笑えるデザインだった。
1980年代はライセンスプレートが青、そして6桁だった。
減り始めてはいたがオイルショック以前の大型車がまだ何処にでもあったのが懐かしい。コインランドリー前にある車はいろいろな点で問題の多い不人気車種だった。なんという名前だったのだろうか? しかし、今見ると背が高く窓が大きいから後のミニバンと似たコンセプトだ。時代を先取りし過ぎていたのかアメリカのメーカーにまともな自動車を作る技術がなかったのか、残念な結果だ。

今日、サンフランシスコの観光DVD(市販品)を観た。
私にとってはそこで学校に行き友達に会い仕事も得てやがて結婚した街だから、あれこそが故郷であると感じてしまった。
日本で生まれ育ってはいる。しかし、楽しかった記憶が日本にあまりないので、言葉以外はどうも自分の国だった実感が乏しい。
小中高、どの学校をとってもその頃からの友人がひとりも居ない。蒲田の学校に行った時の仲間もアルバイトしていた頃の知り合いも居ない。
もっとも、私はサンフランシスコ時代でさえひとりを除いて現在まったく交流がないから、もとから人間関係が希薄な男なのだろう。
最高の女性と出会い、結婚をした。もし誰かと一緒に暮らすとしたらまた同じ人としか考えない。今でも彼女が最愛の人であると言えるのに、別れた後は何処でどう暮らしているかまったく関心を持ったことがない。そういう薄情な人間なのである。