ON THE SUNNY DAY

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飛行機に乗るのは嫌いだ。
生まれてこのかた日本の国内線に乗ったことがないから、短時間フライトは知らない。
サンフランシスコーロスアンゼルス、或いはラスベガス程度の距離なら何度か乗っているが、アメリカは空港を出るとすぐ『何もない』大地ばかりになるので見るものがない。日本の空からならいろいろな町を見ることができるのではないだろうか。
先日も書いたように私は機体の揺れなど気にしない。嫌いなのは長時間あの椅子に座り続けることだ。しかし、離陸時はこのように地上の景色が良く見えるので楽しい。

倉庫を整理していたら中学校の卒業記念文集が出てきた。1960年代初期のものだ。
あの頃は1学年に9クラスもあったことに驚いた。なんと、ひとつの学年だけで400人前後も生徒がいたのである。
そして、昔は学校発行のものに生徒や教師の連絡先が書いてあった。緊急連絡先などはなんとかツリー(当時の正式名称不明)といって、何人かの所から枝葉のように次々と連絡できるように組まれていた。私の頃はまだ電話を引いていない家も多かったので、住所の近い人をまとめたのだろう。
卒業時の、自分の文を読み返した。タイトルは『経験』である。
「これでもう先生方と顔を合わせなくて済む」「有意義な3年間だった。こんな所に居た経験があれば今後どんな酷い所に行っても不満は出ないだろう」「こういう先生と居ると、社会に出るようになっても腹を立てることがないだろう」「この3年間が僕達の人生にプラスにならないわけがない」などと書いてある。
他の生徒でこのような悪態をついているのはひとりもいない。公立だが比較的に良い子の多い学校だった。あの昔(50年以上前)の日本社会で公式の卒業文集にこんな堂々と文句を書いていたとは、昔から問題児だったようだ。どうりで日本に住めなくなるわけだ。