Good Old Days 9

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Union Square

1980年代中頃のユニオンスクエア前。
画面の中の時計が正確ならばの条件付きだが、4時半だから日没時である。
カリフォルニアは夏と冬で大きく日没時間が異なり、6月は夜9時でもまだ明かりが残っているのに、12月は4時半くらいに暗くなってしまう。
しかし、さほど気温は下がらないからこの写真でも少しの人しか厚着をしていない。
写真としては面白くもなんともない1枚なので、これは今まで何処にも使ったことがない。
ダンヒルの店があったりVARIGエアラインがあったりするのも時代を感じさせる。昔はユニオンスクエア周辺に何件もエアラインや旅行会社が店を出していた。懐かしいパンナムもこの近くにあった。
そして、1960年代後半から20年ほどは日本人相手のギフトショップがユニオンスクエア周辺に何件か存在して、このダンヒルの上に Space Creation という店があった。
今はテナント料がとてつもなく高騰したから、普通の会社では店を維持することが不可能なユニオンスクエアのあたりだが、80年代はまだ何件か日本人の店が頑張っていた。当時でもそれなりの家賃は取られていたのだろうが、80年代は現在の10倍以上日本人ツーリストが居たから、比較的に経営が楽だったのだろう。
アメリカ本土ではたぶん最初だと思われる射撃ツアーの会社 Golden West Sports Tour もこの近くに小さなオフィスを持っていて、実際はそこを郵便受けとして使っていた。これは日本に置き換えると、銀座のど真ん中にオフィスを借りながら誰もそこに常駐せず、ただ郵便用の住所として使うのと同じだ。
GWSTのように小さな会社が、お客などほとんどいなかった1970年代からそんな馬鹿げたことを続けていられたのは、いかにサンフランシスコの家賃が安かったかの証明である。
私の記憶にある日系の店だと、二階堂・パンジャパン・ローハイド・エド屋などが80年代にあった。他にもこれらより大きな規模の店がいくつか存在したはずだが、あまりに昔のことなので私は思い出すことができない。古い知人でもいたら懐かしい名前がいろいろ出てくるだろうが、残念なことに誰ひとり知人がいない。
仮に私が今サンフランシスコに行ったとしても、昔の知り合いなど半分はあの世に行っているだろうし、生き残っている者達はたぶん認知症だろう。
1970年代に旅行業で働いていた人達は皆すごく儲けていたと聞く。海外旅行がまだ大変に高かったのでツアーに参加する人達は金持ちばかり、そしていろいろな形で現地の人間達に出番があった為、「日本語ができれば良い」ということだけが必要条件だった。接客の姿勢も案内の知識もまったく持ち合わせないクズ人間でも、とにかく日本語を喋れば結構な高給を取れたのが1970年代だ。
次が1980年代だ。海外旅行が大衆化して大変に多くの人がアメリカに行った為、再び程度の低い現地(日本)人が大勢働いていた。しかし、その頃になると現地の受け入れ側もだいぶ態勢が整ってきたので、状況は少しだけ改善されていた。
そのまま惰性で業界が続いていたのが1990年代。これは1ドルが100円以下にまでなった為、旅行に割安感が出て、それ以前より更に景気が良かったのである。
すべてが終わったのは、2001年9月11日。壊滅とはまさにこの状態を指すのである。全社倒産全員失業といっても良いだろう。