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電柱電線に加えて日本の景色を大きく損ねているのが洗濯物である。
最近は干す部分を少し下にして外から見えないようにしてある建築が多いが、ベランダから外まで出してしまうと丸見えなので意味がない。
洗濯物が人から見えて何が悪いという意見があるだろう。しかし、景色はすべての人の共有財産であり、洗濯物を出す人の専有物ではない。
何を持って美しい景観かというのは、この場合だと個人の感覚によるところが大きいので難しい問題だ。
床を拭いた雑巾を食卓に置かない。トイレ内に食べ物を持ち込まない。それらは特に法律で規制されているわけでもないから「そんなの自由だろ、俺は汚いなんて思っていない。」と言われるとどうしようもない。
ただ習慣的にそういう行為はしない事になっている。しないのが望ましいとしか言えない。
洗濯物も同じだ。「これは洗った物だからきれいなの。洗濯物が風になびいているのは美しい景色でしょ?」という感性の持ち主がいるのである。
大音量で楽器を演奏するのも同じと言えそうだ。本人が「これは大ボリュームで聴かないと良さが分からない」または「時間に関係なく練習しないと上達しない」「音が大きいからって誰か死ぬか?」と主張する者は、聞かずに済む自由を侵害しているのである。
なぜ洗濯物を見なくて済む自由は尊重されないのだろうか?
(今回は写真を縮小せずに載せた)