California

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何度も同じことを書いてしまうが、アメリカ本土に住んでいた時はカリフォルニア州がそれほど恵まれた所だと気付かなかった。
ネバダに移った時に少しだけ「ここはちょっと見劣りするなぁ」と感じたが、一応アメリカだったからやがてその環境にも慣れてきた。
カリフォルニアほど街づくりがしっかりしていなくても、それに代わる何かがあったからだ。

グァムの印象は「よくこんな酷い所に人が住めるものだ」である。
誰に頼まれたわけでもない。グァムを選んだ自分の無知が悪かっただけだ。
ここに来たとき思ったのは、戦後しばらくして行われた在日朝鮮人の本国帰還事業のようだということだ。
社会党や共産党の宣伝に騙され、北朝鮮は夢の国だと信じて船に乗った在日の人が、目的地に近づいたとき遠目でも分かる貧しいかの国の実態に驚き、全員が深く後悔したと伝えられる。
実際にその帰還事業に携わった人から聞いた話で、針と糸そして端切れでも良いから何か送ってくれと伝言をよく頼まれたそうだ。着る物がない食べ物がない薬がない。とにかく北朝鮮には当時の貧しかった日本でさえ手に入る普通の物が何ひとつなくて苦しんだようである。
帰還事業最大の悲劇は、北朝鮮に渡った人が二度と日本に帰れず、収容所などに送られて一生を終えたことだ。
そんな悲しい現実と比較したら、私の愚かな選択はやり直しのきく間違いでしかないし、日本に行くのもアメリカ本土に戻るのも自由なのだから悲劇などではない。
いい歳してアメリカ領をアメリカの一部と勘違いした私がとんでもない馬鹿だったと気づいただけでも良い。