New Bus

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何日か前の写真と同じに思われそうだが、こちらは2000年になった頃から走り始めた新型車両である。
旧来のものからあまり変更点はなく、行き先表示が大きくなった、ドアの幅が広くなった、車体前部に自転車を運ぶためのキャリアーが付いたことくらいが違いだろうか。製造は前と同じカナダの会社でフライヤーだったと思う。
トロリーバスは屋根の上についた2本の棒から電気を取るのだが、このポールが旧型ではよく外れて困った。一度外れてしまうとドライバーが車体の後ろに回ってポールに付いたヒモを引き、再び架線にうまく噛み合わせないと走れないから、乗客そのあいだ車内で待つしかない。新型はその辺を改良したようで、以前に比べると大変に外れ難くなった。
日本は停電がほとんどないから、電力のなくなったときこのバスがどうするかなど考える人もいないだろう。この新型は電気がなくても約50km走れるのである。つまり、街中が停電になったとしても車庫までは帰れるということだ。
サンフランシスコに35年ほど住み、その間に長時間の停電を3・4回体験した。
最も長かったのは1989年の秋にあった地震の際の停電で、本当に全市あるいはそれ以上の範囲で3日ほどまったく電気がなかった。
一般家庭の電気がないだけでなく公共交通機関用の電力もなかったから、市電もケーブルカーもすべて動かなかったのである。
最近のアパートは調理も電気だからいっさい温かい物はないしお茶も飲めない。店も営業できなかったあのとき、いったいどのようにして生活していたのだろうか?
そして、当時は地震があったらガスを止めるという考えが主力だったため多くの家庭でガスの元栓を閉めた。
ところが、ガスは一度元栓を動かしたらそれを一般人が開けることはできないのである。その結果、4日くらいはシャワーを使うこともできなかった。
朝、日が昇ると行動を開始する。しかし、交通機関はいっさいないから移動ができない。会社も店も電気がないから営業できない。そうなると、ただ家で時間をつぶすしかないのである。ところがテレビは写らないバッテリーが貴重だからラジオを聴くこともできない。結局なにもすることがないのである。
当時は結婚していたから一応ふたりだった。たぶん一日中どうでも良い話をしたりトランプで遊んだりして、陽が落ちると寝てしまうだけの生活を続けていたのだろう。なんでも書き留めておくのが好きな私なのに、当時のことがどこにもまったく記録されていないのが不思議なくらいだ。