An Ordinary Day

イメージ 1

10年前の5月に撮ったものらしい。
サンフランシスコは5・6・9・10月の天気が特に素晴らしく、霧が少なく抜けるような青空が続く。
日差しは強いのだが爽やかそのものの気候で、風が吹いたらもう本当に最高である。すべてが眩しいほど輝くあの晴天は、体験するまで信じ難いだろう。
電柱に黄色いペイントが塗ってあるのはバスストップの意味で、見て分かるように時刻表も何もない。ここでバスを待っている人が日陰に逃げているのは、それだけ直射日光が強いことの証だ。
これは私のアパートのリビングルームから外を撮った試しの1枚で、惜しいことにフォーカスが合っていない。

今日、久しぶりに写真を新しくしたのは、こうしないと誰もブログを見ないことが分かったからだ。
さて、本題に入る。
パッシングライトという言葉を知らない人は少ないだろう。
じつは、これの使い方が日本とアメリカでまったく違うのである。
通常、アメリカでは誰もこれを使わない。少なくともカリフォルニアやネバダの街中で使う人は見たことがない。
これは本来長距離トラックの運転手だけが使うものだと言ったら、日本人の誰がそれを信じるだろうか?

アメリカのフリーウェイは町から離れると本当に地平線のかなたまで誰も居ない。
いくら走っても見るのは大型トラックばかりである。つまり、物凄くものすご~く運転が単調でつらいのである。
そしてもうひとつ、昔のバスやトラックのバックミラーは平面鏡だけで、現在のように曲面鏡が付いていなかったのだ。
これがどういう事かというと、並進している横の車を通り過ぎたとき右後ろは大きな死角になって、そこに何がいても運転手からは見えないのである。そんな時、追い越されたトラックはパッシングライトを点灯して「OK、追い越し完了。」と合図して、先行車は車線変更後にテールライトを少し消して「見たよ。ありがとな。」と意思を伝える習慣があったのだ。
ほとんど出会う車さえなく、いくら走っても景色の変わらない絶望的に長い道をひたすら孤独に耐えて延々と走り続けるドライバーは、こうして他の車と合図を交換することで、「あー、俺はまだ意識がある。生きている。」と確認できて嬉しいのである。
誰の歌だったか思い出せないが、「今俺はこうして16wheelsを運転している。もう何も感じることができない。ただただ運転しているだけだ・・・。」というような曲がある。16Wheelsとは16輪のことで、アメリカの長距離トラックの標準である。
この絶望的に長い運転と孤独感は、実際にアメリカで大型を運転しないと理解できないかも知れない。