San Francisco Street Car

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サンフランシスコにはいろいろな乗り物がある。
市電・市バス・郊外とつながるバス・地下鉄・そして、全米でただひとつこの街だけに現存するケーブルカーがある。
しかし、世界的にはあまり有名でないが、この写真のようにクラシカルな路面電車も走っているのだ。
これは全米各地から廃車になっていた戦前の電車を集めて、復元稼動させているものの1台である。
私がサンフランシスコに住み始めたその年あたりに1度廃止されて地下を走れる新型車両に変わった。しかし、何年か後にトロリーフェスティバルで再登場したら思いのほか好評で、線路も復旧して通年で走るようになった。
実際に1980年まで走っていたサンフランシスコの市電は、もう少し地味な色だった。この写真のものは型だけ同じで色が写真映えするものを選んだのである。
撮影場所はマーケットストリート。3rd.street と 4th.street の間くらいで東に向かって撮った。
この電車はカストロストリートまで行って折り返し、フィッシャーマンズワーフまでまた向かう。多くの人が住んでいる市の西側には地下を通る別の市電がつながっていて、先日の写真にある私が住んでいたエリアに行く時は、通常その地下の電車を利用する。

さて、話は私がアメリカに来て資金難になり始めた頃に戻る。
とにかく、半年かそこらアメリカに居たら英語がなんとかなると思っていた当初の予想に反し、準ビギナーズクラスから始まった私は現実を知って「もっと居なければ、渡米した意味がない。」と感じていた。
だが、1ドルが300円くらいしたあの時代は手持ちの金などすぐに足りなくなってしまうのである。
「資金が続かなければ帰国するしかない」「ここで日本に帰ったら、再び渡米するなど難しいだろう。」そんなことを考えながら宿泊地であるレジデンスクラブで夕飯を食べていたら、ウェイターが突然職場放棄して居なくなった。
英語のできない私ではあったが、その場の雰囲気で何か揉め事になっていることは察することができた。
そして、どうしたわけか「あのー・・・、人手いりますか?」という言葉が出たのである。
中学生の頃からよく飛び込みで「あのー・・・、アルバイトしたいんですけど何か僕にできることありますか?」と売り込むことに慣れていた無鉄砲さが、再び甦ってきたのである。
基本的にはかなり慎重で「石橋を叩いても渡らない」私なのだが、仕事探しだけは昔からいつもこの方法でやってきた。
その時はタイミングが最高に良かったのだろう、「ん? 仕事したいのか?」と返ってきた。
こちらの返事は簡単で、「英語できないからウェイターは無理です。でも、なんだってやります。」だ。そして、「そうか、英語ダメなんだな。それなら皿洗いがウェイターやるから、君が皿洗いを引き継げ。」となったのである。
日本に居た頃アメリカ映画でよく皿洗いという仕事があるのを見ていたが、それが実在する職業であることを、このとき知った。

デジタルカメラが普及し始めた頃のもので撮ったから、このように小さなサイズでしか保存しなかった。当時のメモリーでは普通サイズにすると何枚も保存できなかったのである。
今になると、アナログカメラで撮れば良かったと悔やむわけだ。