Small Car Good Small Price

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雨が多い日本で暗い写真を出しても、憂鬱な気分が増すだけだ。今日は明るい所でいこう。
これは先日の旅行で使ったレンタカー。保険を入れても1日30ドル程度だったと記憶している。米国本土よりだいぶガソリンの高い島だが、それでも4日で30ドル消費しなかった。
今まで何度か利用している会社だ。しかし、トヨタレンタルだと知ったのは今回が初めてである。
この方向から撮るとずいぶん寸法のつまった車に見えるが、二人乗車なら後部座席も荷物スペースに使えて、まだまだゆとりのあるサイズだ。
唯一の問題は、この会社が空港内にチェックインカウンターを持たず、到着してから電話しないと迎えに来てくれないことだ。そして、日本から持って行く電話が向こうで使えず、空港内にある数少ない公衆電話はいつも故障していることだ。
じつのところアメリカの公衆電話は故障していることが多いのだが、家庭電話と違って誰もそれを報告しないしできもしないので、何ヵ月または何年も故障したままになっている場合がある。
電話帳はあってもすぐページを破って持って行ってしまうから、ホテルやレンタカー会社の項目はたいてい使えない。
アメリカでこそ携帯電話の存在意義が大きいと言える。

今日聞いた酷い日本語。
若い女性の言葉である。「いろいろな物を試して、良いのが見つけれたら」だそうだ。
これは「見つかったら」でじゅうぶんだ。わざわざ可能を意味する「見つけられたら」を使う必要がなく、ましてやそれを変形して「見つけれたら」と言う意味がない。
口語としても「見つけられたら」のほうが言い易く、「見つけれたら」だと却って音を繋ぎ難いはずだ。
要するに、今の若い人達は無理をしてでも「ラ」の字を抜くほうがカッコイイと思っているのだろう。
ただ、一部の人は「見つけれれる」とまで言う場合があるから、そうなると、もう何が彼らをそうしてしまうのか理解できない。
もちろん、そういった人間は外国語の習得など不可能である。