Airplanes 3

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成田闘争なんてのがあった。私は体験的にそれを良く知っている世代である。
じつのところあれは成田という場所が利用されただけで、問題の質は現在の沖縄基地反対運動と同じものだった。
最初は日大の不正経理問題や東大医学部の問題から始まった1960年代中期からの学生運動がやがて全国的規模の反体制運動に発展し、当時流行っていたベ平和連などの運動も勢いを増していた。日本中が反体制=正義とさえ考える風潮の時代だったのである。
しかし、佐世保闘争・羽田の佐藤首相訪米阻止闘争、10.21新宿その他各地に広がった激しい街頭闘争も、東大安田講堂での敗北、そして1970年の日米安保自動延長が決まると勢いを失い始め、セクト間の内ゲバや連合赤軍のリンチ殺人が明らかになると急激に衰退していった。
そこで新左翼勢力が最後の拠り所として力を入れたのは成田空港の問題だった。新空港建設の問題は1960年代初期からあったのだが、1970年頃から他のすべてに行き詰っていた新左翼勢力にとっては成田が最後まで“使える”恰好の道具だったのである。今の沖縄に中共や韓国の勢力まで加わって反対派が活動しているのと同じだ。