Golden Gate Park

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サンフランシスコは季節にあまり大きな変化がなく、1年中が春と秋のような所なのである。
このように常緑樹が多いと余計に季節感がないから、花壇の花くらいしか手がかりがない。しかし、このサイズだと私には花の種類が特定できず、やはり季節が分からない。
外気は常に乾いていて快適そのものだ。人によっては寒過ぎる街ということもあるが、暑いよりはるかに気分が良いと私は思う。
サンフランシスコは文化的に少し特殊な気風のある所で、特に芸術関連ではじつにいろいろなものがあり、さすがヒッピー発祥の地だけのことがある。
天気が良いから屋外で音楽の練習をしている人もいるし、近くの Haight st.には昔からレコード専門店などがある。今はまた復活のきざしもあるレコードだが、サンフランシスコでは、CDなどが全盛だった時代でもLP専門店があったのである。

さて、私は今日本に居る。
アメリカ本土に住んでいた頃は想像さえしなかった「日本に住む」ということを本当に実践しているのだ。
以前の私は、日本に行って同じ趣味の仲間達と会うのが人生の数少ない生き甲斐だった。もちろん仲間達に会わなくても日本の日常を体験すること自体が楽しかったのである。
電車に乗る。スーパーマーケットに行く。日本のテレビを見る。アメリカの外食に比べたら安いのに信じ難いほど味の良い日本の普通の食事をする。そういった何でもない日本の毎日の暮らしが最高に嬉しかったのである。
しかし、昨秋から合計すれば既に6ヵ月近くも日本に居ると“やりたい事”はすべて制覇してしまったかのような気がする最近なのである。
両親は既に居ない。兄弟とも特別に仲が良いわけではない。子供はいない。配偶者もいない。
自分にはいったい何が生き甲斐なのか分からない状態になっているのである。
サンフランシスコに住んでいた頃は、高騰し続ける家賃を払うことが人生最大の目的だった。
ラスベガスは家賃が常識的な水準だったので、特に何も考えることなく日々を過ごしていた。それまでの所持品すべてをトラックで運んできたから、実質的にはただ住む所をカリフォルニアからネバダに変えただけだったといえる。
グァムに行くときはほぼすべての生活用品を捨ててきた為、当初はとにかく暮らしの形を整えることが必須であり、ひと通りそれが済んだら次は仕事を探すという目標があった。
ところが、日本に来たら私は法律的に就労ができない為、何もすることがない日々なのである。
レモンハイをひと缶、グレープフルーツハイをひと缶飲んだら、どう文書をまとめて良いのか分からなくなってきた。
やはり、何も食べずに飲むのは良くないようだ。