TOKYO

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夢のように幸せだった日本での生活から、また嫌いなグァムに帰ってきた。
じつのところ、日本を離れるときは20年前だっていつも憂鬱だった。(最初の帰国は1997年)
自由こそはあるけれど基本的に不便さを伴うアメリカ、家族や友人がいない国に戻ることが淋しかったのである。
しかし、アメリカに戻って何日かするとやがてこの場所なりの恵まれた環境が気分を変えてくれるから大丈夫だった。
サンフランシスコなら街並みのきれいさや公園の緑、海のある風景も良かった。
ラスベガスにはそれらが少し足りなかったが、少なくとも広さと自由さ、そしてアメリカの文化的生活水準が快適さをもたらしてくれた。
このグァムには、そのアメリカ的要素がほとんどない。
ホテル街だけを例外としてすべてが汚く野暮ったさとだらしなさが目立つ。基本的に南国の土人的生活環境なのである。
雨が多いから建物が汚れている。犬は放し飼いである。何処に行ってもニワトリが歩いている。車は錆びて穴のあいているものが多い。家の中にも虫がいて冷蔵庫の中にさえ蟻がいる。水圧が低い。私の所は温水の出るのが上限10分である。本土なら簡単に買える物でもこちらは扱っている店さえ少ない。その他、とにかくアメリカ本土から来ると生活水準の差に驚くことが多すぎる。


ブログを更新しようとしたらメモリーカードが見つからない。
このアパートに引っ越してきた僅か2日後に日本へ行ったため部屋の中は荷物が散乱していて、とにかく物が多すぎるのだ。
普段なら物はだいたい決まった所にあるから探すのも不可能ではない。しかし、今は何がなんだか分からない状態でメモリーカードを本当に持ち帰ってきたかどうかも自信がない。
せっかく楽しかった日々を思い出そうとしていたのに、少しばかり残念である。
仕方なくこの1枚だけで何か書いておこう。
滞在していた家の近くにあるコインランドリーだ。
アメリカのランドリーと比べたら十分の一、比較的に小さい店の多いサンフランシスコと比べても数分の一という狭さである。
しかし、私より若い管理人との会話がいつも楽しかったし、洗濯中に近所を散歩していたのも素晴らしく懐かしい思い出だ。
日本に永住するアメリカ人が時々いる。
広く大きなアメリカ、自由のあるアメリカ。そんな所からなぜ狭くて窮屈な日本に永住することを望むのか理解できない人が多いと思う。
自分自身がその立場になり、今初めて彼ら彼女たちの気持ちが分かる。つまり、私は40年アメリカに住んでいるうち日本人でなくなってしまったのだろう。
昨年の秋まで、渡米以来人生でただの一度も日本に住むことを考えたことさえないのに、今はそれが理想のひとつになっているとは、いったいなんという変化だろうか。
いつもいつも明日の分からない人生を歩みながら、今は人生の12月中旬まで来た。
この先、私は何処に行くのだろうか?