School Days

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1979年 
ガソリン 24セント/ℓ
ミルク  50セント/ℓ
映画   スタートレック  エイリアン

この写真は授業中のひとこま。
先生はレジーナ、女の子はオルガ・コーテス、一番右に居るのがエリック。
レジーナという先生は大変に教え方がうまかったことを覚えている。オルガはメキシコから来ていた娘で、気立てが良く皆から好かれていた。エリックはベルギーのフランス語圏から来ていた男だ。良く喋る気さくな奴で、すぐ友達なれるタイプだ。
あとの人達は惜しいことに名前を思い出せない。
当時の学生はたいていレジデンスクラブというホテルの一種に泊まっていた。
学校に来ている人の半分近くがスイスから、そしてもう半分近くが日本からだった。あの頃、世界の金持ちはその2カ国と決まっていたようなものだ。
大きな違いは、スイス人が本国で仕事を持っていながら何ヶ月という単位で休暇を取って来ていたこと。当然ながらアメリカ滞在中は働く必要がないのに対し、日本人はみな仕事を辞めて渡米してきたことだ。
あの頃はまだ1ドルが300円くらいだったから日本人学生は経済的にゆとりがなく、たいてい日本レストランのウェイトレスか調理場の手伝いをしていた。
学校内で最も金を持っていそうなのはインドネシアから来ていたイルマーとかいう生徒と、中国からのジャクソンという奴だった。
イルマーはじつのところ英語にさほど困らないレベルだったが、学校にいる限りいつまでも米国に学生ビザで滞在できるので、「国外に居続けること」それだけが目的だった。中国人のジャクソンは大金持ちの子供だったのだろう。
今は中国共産党の家族が同じような状況で世界中に長期留学しているが、1979年頃はまだ滅多に彼のような存在がなかった。
一般的に中国人は日本人に好意的だから、私にとってもジャクソンはかなり調子の合うクラスメイトだった。
クラスは午前と午後に分かれていて、どちらも4時間だったと思う。
午前の授業が終わると宿に帰るのだが、宿泊所に昼食はついていないので、よく遠回りしてチャイナタウンに寄ったものだ。
朝も夕もアメリカの食べ物だけのホテル暮らしだから、どうしても御飯ものか麺類を食べたかったのである。
あの頃、ジャパニーズレストランに行くと5ドル以下の物はなく、カツ丼などは憧れのメニューだった。それに対しチャイニーズレストランは3ドル台からいろいろな品があり、内容が日本のメニューよりだいぶ良かった。そして、アメリカは食べきれない物を箱に入れて持ち帰れるため1回の食事が事実上2回分になるのだ。
部屋に帰っても電子レンジなどあるわけないが、たとえ少しくらい冷たくても、金のない学生にとっては有難い食料なのである。