11 years

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11年ほど前に撮ったサンフランシスコの写真。
あの頃は、まだラスベガスに引っ越す発想がなかった。
人と車が増え過ぎ、やたらと規則が増えて社会が窮屈になっていたが、現実としてカリフォルニア州から逃げ出す日が来るとは思いもしなかったのである。
夏涼しく冬暖かい。電車で空港まで行くことができる。歩きで買い物に行ける。
海でも山でも簡単に行くことができる。野生動物がたくさんいる。何処に行っても花が咲いている。
サンフランシスコは確かに素晴らしく恵まれた所だったが、生活は楽でなく世の中が少し窮屈になり過ぎてきていた。
リベラル一直線の社会だから無意味なほど規則が多く、買い物に行く時は必ず自前の袋を持つか店の紙袋を購入する必要があった。
サンフランシスコでビニール袋を売ってはいけないのである。何を買っても必ず紙袋を使わなければならない規則がある為、重い物や冷たい物を買うとじつに大変である。
冷たいものは冬の気温でもやがて表面に水滴が出てくる。そうすると紙袋は底が抜けてしまうわけだ。袋自体が丈夫であっても、所詮アメリカ人が作るものだから持つ所はかなりいい加減だ。つまり、あまり中身が重いと持つ部分が切れてしまうのである。
買い物に行くときは必ず袋を持参する。或いは思いつきの買い物などしないと決めておくしかない。
最も酷いのはランチなどを買った時で、驚くなかれ食べ物の入った容器をそのまま渡されるのである。いくら車で移動することが多いといってもこれでは持ちにくいこと甚だしい。
結局これも店から紙袋を買うしかないのだが、なにしろ紙だから湯気でやがて破れてしまうのである。
一事が万事。サンフランシスコはあまりにもリベラル志向が強すぎて、暮らしにくい街になってしまった。
あの街で暮らしていけるのは金持ちと役人、そして中国人だけになりそうだ。
中国人がたぶん総人口の3割を超えただろうから、中国語さえできればすべての公式文書は読める。保険も税金も医療もすべて中国語で通る。
サンフランシスコ・シアトル・ポートランド・バンクーバー、それらはすべて中国領になりつつある。