San Francisco

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

サンフランシスコに居た時はとにかく家賃の上がり方が異常で、後半は人生の目標が家賃を払うことだけになっていた。
もしパートナーが居てふたりで働くなら話は違うが、ひとりで旅行関連の職種に就いていたら事実上の法定最低賃金だから生活は苦しい。
そんな酷い暮らしでもサンフランシスコをなかなか離れなかったのは、あの街のきれいさと気候の快適さが理由だと思う。
本当に生きているのが精一杯の生活でも、外に出ると景色が素晴らしい。たとえ自分の住むエリアが冴えない所でも少し移動すれば必ず目を楽しませてくれる家並みがある。公園も多い。車がなければバスや市電に乗っても移動は簡単である。
天気が良い日は海を見に行っても良い。散歩ついでにスーパーマーケットに行けば良質の食品が山積みになっている。少し重いけれど買い物をして途中のカフェか何かに立ち寄れば一息つくことができる。
要するに、生活はいろいろ大変だけれど「ここに住んでいて良かった」と思える何かがあるのだ。日差しは強いが空気が乾燥していて爽快感がある。時々霧ばかりで寒くもなるが、何故かあまり暗い気持ちにはならない。

そんな理想的な環境のサンフランシスコを離れたのは、現実的に家賃が払いきれなくなってきたことと、社会があまりにも窮屈になってきたからだ。
30年ほど前と比べたら自動車の数が何倍かになった為、運転も駐車もかなり面倒になった。
特に駐車場問題は深刻で、場所によってはパーキングメーターが24時間作動するようになっていた。買い物に行ってメーターにコインを入れる。そして店から出てくると数分超過しただけで75ドルくらいのチケットが付いている。
コインランドリーに行ってホワイトゾーンに車を停め、洗濯物を入れて出てきたらもうチケットが付いているという具合だ。
本当はホワイトゾーンなら短時間の乗降などが合法なのだが、市側の言い分として「ドライバーが運転席にいなかった」という理由で違反になるのである。
買い物の際にプラスチックバッグ(日本語ではレジ袋)を禁止したのも面倒である。なんと、ランチを買っても発泡スチロールの容器ごと渡されて、10セント払わないと袋をくれないのである。10セントが惜しいのではない。途中で思いついた買い物の時に普通の人はマイバッグなど持ち歩いていないのだ。

したがってサンフランシスコからラスベガスに移った時は本当に嬉しかった。まるでリードを外して貰った犬のようなものだ。
家賃は安い。部屋は広い。基本的に駐車は無料。何を買っても袋に入れてくれるから持ち歩きが楽。その他いろいろなことで昔のような自由がネバダ州には残っていた。
サンフランシスコと比べたら街並みは冴えないがそれでもアメリカらしく整然とした作りになっている。住所が分かれば何処にでも行ける。たとえ迷っても道路や交差点に名前があるから自分の居場所が分かる。
同じチェーンばかりであっても店は何処にでもある。商品が豊富だ。
夏の暑さはさすがにネバダ州だが、景色はアメリカだから一応きれいに作られている。
普通に働いていれば普通に家賃が払える。仮に少し生活が苦しくても社会全体の豊かさが感じられるから、あまり貧しさや情けなさを嘆く気持ちにならない。
つまり、特に豊かでなくても生きていることがそれなり良いものと思えたのである。

そして今、自分はグァムに居る。
働けば確かに家賃は払える。そこだけはサンフランシスコよりマシだ。
しかし、何を見ても貧しさと汚さばかりが目に付いてしまうと、ここに居る理由や目的がまったく分からないのである。
居る理由がなく、楽しくもないグァムで人生の時間を無駄づかいするのはやめるべきと思い至った。