URAWA 2015

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URAWA


20年前、画面中央の3階建てウィークリーマンションに泊まったことがある。
浦和駅から歩いてすぐの東仲町とかいう所だった。当時は写真のこの道がなく、周辺の町並みがだいぶ違っていた。
まだ駅東口は開発されていなくて、PARCOがなかったし西口側との自由連絡通路もなかった。
日本に行き始めて間もない頃だったからすべてが珍しく、100円ショップなど初めて聞くほどだった。
当時は電車事情に疎くて、出かけるとよく終電を逃したりしたものだ。最初の1本には乗れるのだが次の接続がうまくできず、駅に着いた時は既に終電がなかったりもした。
慣れない日本で宿を探すのは簡単でなく、かなり苦労した記憶がある。まったく宿泊先が見つからず、仕方なくラブホテルに頼んだのだが「お一人様は泊まれない」と断られて困ったりした。こちらは始発までの何時間かだけ体を置ければ良いのだが、どうしてもダメと拒絶された。地理に詳しい街なら24時間あいているファミリーレストランを探すこともできたが、なにしろ日本そのものに不慣れなのだから絶望的状態だった。
新幹線で広島あたりまで行った時も帰りがなくて困った。
東京周辺で育ったから電車は遅くまで運行しているものと思っていて、東京方面への上りはかなり早い時間に終了することを知らなかったのである。
家族はそれを私に伝えようと電話をかけていたのだが、当時は携帯電話のバッテリーがすぐ切れてしまうので電源を入れずに持っている時間が長く、うまく連絡が取れなかった。日本にいてもアメリカにいても私は電話で話す相手がほとんど居ない生活だから、誰かからかかってくる事は想定外なのだ。あの時は知人にビジネスホテルか何かを手配して貰ったのだろう。その記憶はまったく残っていない。
近距離で困ったケースとしては、埼京線に乗ったときだ。私が日本で暮らしていた頃は存在しなかった路線だった為、浦和から新宿方面まで乗換なしで行けることに感激した。おそらく渋谷あたりに行ったとき帰りに新宿で降りて、食事をして武蔵浦和まで帰ろうとしたらもう電車がなかった。さほど遅い時間帯ではなかったのに、既に終電が行ってしまったのだ。
なんとかカプセルホテルを見つけて泊まることはできたが、暑くて暑くて一睡もできなかった。カプセルごとに温度調節してくれたら良いのに、全館が20何度かに設定してあるようだった。
日本の高湿度に慣れていない体だと、空気の流れない20何度は苦痛でしかない。扇風機でもあれば良いが、狭い空間の蒸し暑さは修行のようだった。